Monday, October 26, 2009

フィードバックが得られない文化を維持していくことは難しい

[社会][web&リアル]文化の地域格差は人の格差か?— はてブついでに覚書。
文化の発信はどこからでもできるが,文化は中央に集約してしまう。そりゃそうだ。観客の数が違う。数が多いとフィードバックが多い。文化は発信だけでなく,反応もなければ成立しない。
例えば,地元鹿角市には正月2日に大日霊貴神社(大日堂,だいにちどうといった方が地元では通じるだろう。)で舞を奉納している。うちの集落谷内では,「五大尊舞」という演目が伝承されている。この日は県内の報道機関やアマチュアカメラマンが一同に集り,カメラのフラッシュがたかれる。
参考 大日堂舞楽(鹿角市)がユネスコ無形文化遺産の「代表一覧表」に記載されました
伝聞のように書いてあるのは,実は私は全く知らない。実は集落の人,特に同年代の方々を全く知らないのだ。自分が参加していないのが悪いんだろうと言われるが,引きこもり的な資質もあり中々進んでいけない。集落の方々が共有して持っている少年青年期に体験したことを私は全くしていない。理由は簡単。父が転勤族のため,小・中・高校と全て違うところで生活してきたからだ。
最初に戻ろう。文化の発信は1人でもできる。しかし,必ずしもフィードバックが得られるとは限らない。まだ東京の方が可能性がある。
文化の格差というよりも,文化を共有できる関係を求めるのが人間の性だと思う。San Jose近郊のBay areaに集まる人や,東京に集まる人。などなど。

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